研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2021年10月11日月曜日

経済学者の意見を聞いて、それを政治に反映させてはいけないらしい

 

大学時代には、一般教養として経済学があった。その授業は結構面白くて、教授の話は十分に参考となった。

何故、経済学者の話を聞いてそれに従った政策をしてはいけないのかというと、『経済学者は、自分の研究結果や考えを反映させ、理想(つまり理想論)を追求しようとする』ので、うまく行けば、「それは私が述べていたことを反映させたから」、と自分中心に物事を運ぶらしい。

そして、うまく行かなかったときには、『自分は気持ちを述べただけ』と言う勝手な結論を出すからだ、というのだ。そういう教授も経済学者なので、「私の授業は、君たちの知識にしないでくれ』というのである。

そのことを裏付けるものとして、学年末の試験では「カンニングという行動は成立しない」「大学から出ない限り図書館に行って調べようが、同級生に聞こうが、他の教授に聞こうが一切かまわない、という」。そのため、答案用紙を配ったら、監督の先生は、その教室から出て行った。

試験問題(正しく言うと試験ではない)は3つあって、どれを選んでもかまわない。そこで、簡単な用語説明を選んだ。3問の用語があり、それを説明するのだが、参考書になれば、と言う気持ちで持参した、「現代用語の基礎知識」なる、厚さが5cmある重たい参考書を試験会場に持ち込んだ成果はあって、数人の仲間とその参考書の内容を要約し、答案用紙を提出。当然100点である。

というような訳で、経済学者の話を信じてはいけないらしい。