研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2018年11月30日金曜日

自動車の整備まで、海外から日本へ来る方に任せるのは、整備に対する考え方が違うので疑問


日本での働き手不足を補うため、人材を海外にゆだねると言う話が決まりそうだが、クルマの整備までそれを行うと言うことについて、ヒューマンエラーの実態を多く見たり体験している者からの意見としては、基本的に反対である。

というのも、この法律を決めようとしている議員さんたちは、ディーラーメカニックの技量を知らなさ過ぎるからであると断言できる。技量と言う内容は少し幅が広いが、全てのメカニックではなく、一部のメカニックであっても、走る凶器とまで言われたクルマ。メカニック自身の気質を、本人自身が理解しないまま、他人のクルマを整備することに対し、何か問題が発生して当然なわけで、考え方がそのことに行き着かないのが不思議である。

人間のやることは、そこにエラーが発生しても不思議ではないし(新幹線や飛行機の整備でも発生している)、発生して当然なのである。それを理解していない議員さんたちが、自動車の整備まで海外の人材を活用すると言うのは、あまりにも冒険過ぎる。

コンピューターではない人間なのだから、ミスをやってもフリーズすることはない。だからミスである作業を、その後発生する事故によって表面にでるまで見つけられないのだが、更に追求すると、その整備ミス(ヒューマンエラー)をしたメカニックのところまで結果が届くだろうか、と言うと、まずそれはない。自動車ディーラーの場合、フロントと言う受付でユーザーからの苦情がストップするようになっているからだ(現場から直接聞いた内容)。

以前のブログにも書いたと思うが、整備ミスをやってお客さんに迷惑を与えたメカニックは、事務所に呼びつけて(朝礼のような、大勢がいるところではダメ。自尊心が傷つくので)、個人的に叱責はしないのか、と言う質問を、当時の自動車メーカーサービス技術部担当者にしたら「怒ると辞めてしまうから、見てみぬ振りをするか、それとなく伝える」と言うのである。

これではクルマ、バイクをいじるための感性は育たない。本当は自分のクルマやバイクをいじるときにヒューマンエラーをして欲しいのだが(それによって他人に危害が加わるようではダメだが)、自分でクルマやバイクが所有できる環境にあるかどうかだ。

クルマをいじる環境について、ある自動車部品のサプライヤーで聞いたことがある。工場が休日のとき、そこを使ってのクルマいじり(ラリーカーを造ったり)を認め、技術と感性が育つことを推奨。それを実行していると言う。

また、少し内容は違うが、ある自動車メーカーに勤める方より、同じ系列の部品サプライヤーに勤める従業員のほうが、クルマやバイクが好きで仕事熱心、目的意識を持って取り組むと言う。

このあたりの考え方も重要ではないのか。

街の中にある何でも受け付ける修理工場のメカニックには優秀な方が多いのだが、それは全てではない。自動車整備士の給料が高くていいのだが、それに見合った仕事の内容であるべきだと思う。