研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2020年7月16日木曜日

試乗会などでバリアフリーと言う説明に対しケチをつけた⑪



オリンピックが近づくとバリアフリーの話が出てくる。前回の東京オリンピックのときにもそうだった。でも、彼らが言うところのバリアフリー化は達成できていない。

今回の話はオリンピックと関係のないもので、自動車メーカーでも一時期「バリアフリー・・・・」を謳いものにするクルマが発売された。

バリアフリーと言う言葉に違和感を持っていたので、試乗会での説明などで「このクルマはバリアフリーをコンセプトにしました」などという発言を聞くと、その言葉が終わるか終わらないうちに「バリアフリーって何ですか?」「どこかに健常者が区分けの線を引いて、ここからは障害者、その手前は健常者」と言うようなことを言っているから、素晴らしいものや街、物事が先に進まないのではないですか。

あなたたちがバリアフリーと言って差別と区分けをするような発言をしてはいけないのです。という話を数回したら、いつの間にか自動車メーカーの説明から、バリアフリーが消えた。

バリアフリーなんていっているから、バリアを造ることになるのだ、と日頃から思っている人間にとって、この言葉は気になるのだ。

障害者に優しい道路やクルマ、人が動くときだけではなく(駅などの階段もある)全ての事柄に対しても差別無しとしておくこと。自分もいつかはお世話になる事柄だから、これをフリーにしておけば、住みやすく生きやすくなると思うのだが。