研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2015年10月30日金曜日

日本初のトライアルバイク・バイアルスTL125について。間違い記事を正す


1960~70年末、欧州(主にイギリス)で盛んに行われていたトライアル。これを日本でも盛んにしようとホンダから発売されたのが、1973年のバイアルスTL125で、その後にカワサキ、ヤマハ、スズキと続いたのだが・・・
 
本題に入ろう。バイアルスはトライアルの神様と呼ばれた、イギリスのトライアルライダー、サミー・ミラーとは関係ない。その後1975年に発売されたTL250(またの名を戦車という)もサミーとは関係ない。
 
ネットのあるサイトでは「サミーのアドバイスで・・・」とあるが、それは間違いで、サミーと契約して開発したトライアルマシンは市販になっていない。
 
サミーとの開発では、もっぱらエンジンの燃焼に関わることで、TL250のような、アイドリングでもライダーの気持ちを裏切って、ガンガン走ってしまう特性は扱い易さの点から不向き。
 
当時はアメリカでもトライアル選手権が開催され始め、アメリカホンダの契約ライダーであるマーランド・ウォーレーが活躍。彼らのリクエストは「1速、2速ギヤをもっとハイにして欲しい」ということが多々あったようだ。
 
何故こんなことを知っているかというと、当時トライアルのライバルとして活躍していた方が、TL125の開発責任者で、実は私が中学時代の部活顧問の先生が弟さん。当時から「兄はホンダの研究所でバイクの開発をしている」ということを話されていた。
これがバイアルスTL125。オンロードの走行性も素晴らしく、オフロードツーリングは誰でも楽しめた
 
そんな関係で、トライアル競技の会場でお会いしたときから、いろいろ教えていただいた。ここでは書けないことも・・・
 
日本では、出来るだけ低速走行が可能となるよう(当時は半クラッチ走行はご法度だった)、ドライブスプロケットを最小にして使用したぐらい。アメリカ人がどのような乗り方をしていたか定かでないが、駆動力を持続したトルクが欲しい、というような話が出て、排気量は300ccにしたらしい。
 
市販に結びつかなかったサミーとの開発は、燃焼に関わることで、穏やかな特性が得られるものだった。
 
その後、この燃焼データはお蔵入りかに見えたが、XL250S(フロント23インチホイール)を開発するとき「せっかくサミーと開発した250シングルの燃焼データ。それを使えないか」、ということになり、やっと日の目を見たのである。
 
初めてXL250Sを試乗したとき、やけに扱い易いエンジン特性で、「トライアル車を考えたものですか」、と開発者に質問したのだが「いやそんなことはありません」と否定された。
 
その後、数十年が経ち、当時の研究所にいた(後に研究所社長からホンダの社長に)福井さんと話をする機会があり、XL250Sのエンジン特性のことを告げたら、「そうだろう、サミーと開発した燃焼データを生かせないか、ということで造ったのだから」。という返事。
 
オヨヨ。ということはオレが感じたエンジン特性は、非常に正しいということだったのだ。そのときの開発者が誰だったか覚えていないが、一言言ってやりたい。「このやろ~」