ホンダとマクラーレンが不仲になった理由は、確か以前にもレポートしたと思うのだが、当時のマクラーレンの最高責任者のロン・デニスと、ホンダ側の担当者との意見が合わず『喧嘩別れした』。その直接の原因は、「このボディ形状だとクラッシュテストに合格できない」というホンダ側の意見と、「これで大丈夫」、と言うマクラーレン側の意見の違い。
ホンダは、エンジン開発だけを行うのだが、クラッシュテストに合格しなければ、当然ストレスマウントされるエンジンにもその影響が出る。
何が問題視されたかと言うと、ドライバーが乗車する部分の開口部の大きさ。ホンダ側はマクラーレンが設計する開口部の大きさではクラッシュテストの合格しない、と言う判断だし、マクラーレンは、これ以上小さくしたらアクシデントを起こしたときにドライバーはすぐの脱出できない。というもので、意見が合わなければ、F1マシンとしての許可が下りない。
『大丈夫』『いやダメだ』と言う口げんかの応酬で、ついには喧嘩別れした、と言う話。
これは、当時の担当者から直接聞いたもので、噂ではない。
その後、再びマクラーレンとホンダは手を組むことになった(喧嘩別れした当時の状況を知らなかったのか?)。当時のホンダの担当者は定年退職していたが、マクラーレンは、相変わらずロン・デニスが最高責任者。
人間の感情などと言うものは、そう簡単になくなるものではない。いくら話をする相手がそのメーカーにいなくなったとしても、喧嘩別れしたときの『このやろ~』感情は、ホンダ側にぶつけることになる。
あるとき、その喧嘩別れした担当者とお会いする機会があったので「マクラーレンのロン・デニスのところへ出かけて、あの時はごめんね、とか・・・話をしたほうがいいのでは」と言ったのだが、「俺はもう関係ないからイヤダ」と言う返事。
そして、マクラーレン側は、シャシーのデーターをホンダ側に正確に伝えず、レースで走るたびに不具合爆発。結果、マクラーレン経営側は、ロン・デニスを最高責任者から引き摺り下ろして、その後はマシンの改良が進んだ。と言う結論だ。