研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2021年8月14日土曜日

青森県の洪水被害をTVで見ていて、昔の むつ湾インターナショナル・スピードウェイを思い出した

 

むつ湾サーキットがあったのだが、ご存知だろうか

 青森県の北の野辺地に1周4.8kmのむつ湾サーキットが出来たのは、1972年ごろだったと思う。

そして、今でもその跡地は残っており、Googleマップで検索すると、数年前にはオーバルコースだった一部跡が見え、舗装を剥がしたダートコースのような部分には、クルマが走行した軌跡などが見て取れたがたのだが、今では雑木林と草で覆われ、よく判別できない。

その、むつ湾サーキットで1972年8月19、20日に行われたレースイベントのMCFAJ競技役員として参加した。

バイクとJAF公認ストックカー(どんなクルマだったか忘れた)で、バイクレースに参加できるのはMCFAJ公認のプロフェッショナルクラス(賞金も出るので)のライダーのみ。

当時のマシンはほとんどヤマハで、250と350は排気量のクラス別は無く混走。250はTD3、350はTR3で、もちろん空冷エンジン。

当日はほとんど台風並みの天候、コースは雨と海岸からの砂(海のそばだから)でコンディションは最悪。後日その時のマシン状況を聞いてみると、キャブレターから砂混じりの雨水を吸い込み、シリンダーは異常磨耗。クランクのベアリングもガタガタ状態だったとか。

それでもライダーはパフォーマンスを発揮して、ストックカーよりも速いラップタイムで走行した。もちろん350ccが優勝したが、その時のライダーは元ヤマハワークスの本橋明泰さんだった。

当時、私はモーターサイクリストの編集部員で、取材はレース取材担当の人間が行ったので、私は競技役員の仕事を全うできた。