むつ湾サーキットがあったのだが、ご存知だろうか
そして、今でもその跡地は残っており、Googleマップで検索すると、数年前にはオーバルコースだった一部跡が見え、舗装を剥がしたダートコースのような部分には、クルマが走行した軌跡などが見て取れたがたのだが、今では雑木林と草で覆われ、よく判別できない。
その、むつ湾サーキットで1972年8月19、20日に行われたレースイベントのMCFAJ競技役員として参加した。
バイクとJAF公認ストックカー(どんなクルマだったか忘れた)で、バイクレースに参加できるのはMCFAJ公認のプロフェッショナルクラス(賞金も出るので)のライダーのみ。
当時のマシンはほとんどヤマハで、250と350は排気量のクラス別は無く混走。250はTD3、350はTR3で、もちろん空冷エンジン。
当日はほとんど台風並みの天候、コースは雨と海岸からの砂(海のそばだから)でコンディションは最悪。後日その時のマシン状況を聞いてみると、キャブレターから砂混じりの雨水を吸い込み、シリンダーは異常磨耗。クランクのベアリングもガタガタ状態だったとか。
それでもライダーはパフォーマンスを発揮して、ストックカーよりも速いラップタイムで走行した。もちろん350ccが優勝したが、その時のライダーは元ヤマハワークスの本橋明泰さんだった。
当時、私はモーターサイクリストの編集部員で、取材はレース取材担当の人間が行ったので、私は競技役員の仕事を全うできた。