研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2019年11月10日日曜日

カチンと来たこと 試乗会などでケチばかりつけるという話を小耳に挟んで・・・



ある集団の集まりに中で「こいつ(つまり私のこと)は、クルマでもバイクでも開発者にケチばかりつける、と言う話が流れてきた。そのときは、そこに大勢の関係者がいたので、その言葉に対する反論はしなかったが、後でよく考えてみると、そのことを述べた自動車メーカーに対しては、数多くの欠陥(欠点ではない)に対する問題点を指摘し、どのように改良すべきであるかと言う話をしてきたのだが、「ケチばかりをつける」と言う言葉を聞いて、本当にがっかりした。

良かれと思って発言したことを、「このやろう・・・」的な気持ちで聞いていたとしたら、がっかりと言うより、あきれるばかりであるからだ。

なので、その自動車メーカーに対しては、今後欠点・欠陥を見つけても、一切話をしないことにした。お金をもらって試乗しているわけではないし、欠陥を報告しなければいけないという義務もないからだ。

人が造る物は全てにおいてパーフェクトではない。開発の途中で時間に追われ「このあたりでよしとするか」と言う感情は自然と沸いてくるばかりではなく、人間のセンサーが研ぎ澄まされていなければ、すべての人間に対して、納得できるものは完成しない。

まして、開発では常にそのものに接しているわけで、そうなると欠点や欠陥を見誤ることも出てくる。だからリコールが花盛り???となってしまうのである。リコールとならなくてもユーザーが気が付き(欠点・欠陥を発見しても販売店では相手にしてくれなかったら・・・)その問題点はいつの間にか全ての関係者が知ることとなり、それを収集するのに時間と金が掛かる。

そのようなことから、真摯に初めて乗った人間の(勿論、性能をしっかりと出せる人物であることは最低必要条件)評価は重要だと考える。素直にその人物の話を聞いて、直ぐに対応できるものは即手を打つ。これが鉄則で、けちをつけるという感覚だとしたら、そのような人間は開発者として失格であると思う。

これまで、数多くのバイクやクルマに試乗し、瞬間の挙動や不都合を発見し、その都度開発者に意見を述べてきた。

でも最近は、試乗会に参加する機会が少なくなり、正しい判断が出来なくなってきた。また、開発の最前線にいる技術屋さんとの話をする機会も減り、それで良かったのか、少し心配でもある。