その射爆場跡地で開催されたエンデューロレース「シルバー200」のプログラムを掲載してくれた雑誌がある。「自然山通信」と言うトライアル中心の雑誌だ。自然山通信4月号が欲しい方は℡045-989-1360.Fax045-989-1362(280円+税)まで問い合わせて欲しい。
水戸の射爆場は、戦後米軍が管理していた広大な森林と雑草が生い茂る演習場。その場所を日本政府に、返還することになったのだが、それを記念して何かバイクのイベントが出来ないだろうか、と言う話が、横田基地のバイク仲間から沸きあがっていたらしい。バイクが好きな隊員(米軍横田基地内にはMCFAJ・モーターサイクル・クラブ連盟にクラブ登録しているグループもあった)が多く、「アメリカで開催されているような広大な場所でのエンデューロレースができるといいのだが、水戸の射爆場跡地を利用して」、と言うような話がモーターサイクリスト編集部に舞い込んできた。
「水戸の射爆場跡地」なんていわれても、戦後に日本人がそこに入ってレースなどやったことはないし、ましてどこにあるのかさえ定かでなかった。
でもそれは面白そうだということで横田基地の将校さん宅を訪ねると、彼らはすっかりやる気で「さーどうする」的な話で迫ってくる。コースはどうなっているのか聞くと「射爆場の外周近くを走るコース」を考えており、大まかなレイアウトが出来上がっていた。
モーターサイクリスト誌(八重洲出版)は、今は亡き初代社長の酒井文人氏がモータースポーツ大好きで、浅間テストコースでのロードレースを主催したことがある。
そのモーターサイクリストはMCFAJという組織を作っていたわけで、そのような組織を巻き込めば水戸の射爆場跡地を使ったエンデューロもやれるのではないか、と米軍グループは考えたのだろう。
横田基地で打ち合わせに立ち会うこととなった私は、MCFAJの事務局長や理事長とも親しく、いろいろお手伝いする中で、いつの間にか競技の運営にも首を突っ込むことになったほどだった。
そんなこともあり、横田基地の担当者と話をする最中、計時や保険は?と言う問いかけをすると、計時も保険もまだ結論がでていない。何とかしなければならないのだが・・・
そこで、計時はMCFAJのレースで、常に計時の判定を行っていた方にお願いすることに。そして保険は、これもMCFAJの事務局長に相談済み。保険は何とかなります、と言う私の言葉に米軍関係者全員が「イヤー、ラッキー」「自分達はそれが一番心配だった」というのである。
レースの名称についての相談もしたが、シルバー200と言う名前になった経緯は忘れた。何かに引っ掛けたことは確かなのだが。
レースの開催日時はこちらのスケジュールで良いというので、編集の仕事が一段落する次の日曜日の7月30日に決定。コースの下見と確認は横田基地の関係者と編集部員の大光明(おおみや)が試走を2回ほど行い決定した。
コース1周の距離は12キロ。海岸線の波打ち際も走る。レースは時間レースで、そのときに一番周回数の多いライダーが総合優勝となるもの。スターと時刻は午前10時。終了は午後4時と決まった。
レースの内容は転倒事故の多い状態で(海岸線から上ってくる場所の埃がすごく、前が見えない)、私もコースマーシャルとして何周かしたが、転倒者を見つけて助けている直ぐその脇で、“ドデン”という転倒の音を何回か聞いたが、その状況が見えていたわけではない。
参加者には、今そのリストを見ると、有名人がかなり多いことが、初めてわかった。当時は、レースを最後までやりきることに神経を集中していたので、参加者の名前まで気が回らなかった。ここでその方々の名前はあえて出さないが(漏れると失礼になるので)、お許し願いたい。
そして午後4時にチェッカーフラッグを最初に受けたライダーは、勝俣輝勝さん。何周したか忘れたが10周ぐらいだったと思う。