研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2022年1月25日火曜日

雪遊びで手袋がビショビショになっても、そのまま使い続けると、いつの間にか冷たさがなくなる

 

子供が小さい頃、雪が降ってくれば、当然彼らは、雪まみれで遊びまわる。その結果、使っている手袋はビショビショになる。

このままでは凍傷になるかも、と言うぐらいの時間でそのビショビショ手袋(このときには毛糸だったと思う)をはめたまま遊んでいるので「手袋そのままでは冷たいから、絞ってあげようか」と言うと、彼らは「冷たくないから大丈夫」と言う返事。

ヤバイ、これは凍傷になったのか、と心配したが、そうではないらしい。

わけが分からないまま、自分でも同様な行動を起こす羽目になった。使った手袋は軍手。当然最初のうちは、雪が解けても手袋の中まで染みてこないので、冷たくはないが、数十分使ううちに指先が冷たくなってきた。

でも、雪かきはもう少しで終わりそうだから、そのまま冷たさをこらえて軍手をしたまま。

ところがどうだろう。そのうち冷たさはなくなり、快適に雪かきが出来る。さっきまでの指先が痛くなるほどの感じはどこへ行ったのか。もちろん軍手はビショビショ。下に向けると解けた雪は水となって滴り落ちる。

こんなに滴るのでは・・・そこで軍手を脱いで雑巾絞りがごとく軍手の水を搾り出し、再度その軍手も手にはめてみると、その冷たさときたら、耐えられないほど。

ビショビショの軍手に溜まっていた水は、もちろん雪が溶けたものだが、その軍手に溜まっている最中に、体温で温められ、保温材となっていたようだ。

結論 雪遊びをするときには、手袋(毛糸、軍手)がビショビショになっても、そのまま最後まで使用すること。そうすれば冷たい思いをし続けることはない。

2022年1月21日金曜日

F1からホンダが撤退すると言うことになって、昔、マクラーレンと組んだときの話が出ているので、それについて一言

 

ホンダとマクラーレンが不仲になった理由は、確か以前にもレポートしたと思うのだが、当時のマクラーレンの最高責任者のロン・デニスと、ホンダ側の担当者との意見が合わず『喧嘩別れした』。その直接の原因は、「このボディ形状だとクラッシュテストに合格できない」というホンダ側の意見と、「これで大丈夫」、と言うマクラーレン側の意見の違い。

ホンダは、エンジン開発だけを行うのだが、クラッシュテストに合格しなければ、当然ストレスマウントされるエンジンにもその影響が出る。

何が問題視されたかと言うと、ドライバーが乗車する部分の開口部の大きさ。ホンダ側はマクラーレンが設計する開口部の大きさではクラッシュテストの合格しない、と言う判断だし、マクラーレンは、これ以上小さくしたらアクシデントを起こしたときにドライバーはすぐの脱出できない。というもので、意見が合わなければ、F1マシンとしての許可が下りない。

『大丈夫』『いやダメだ』と言う口げんかの応酬で、ついには喧嘩別れした、と言う話。

これは、当時の担当者から直接聞いたもので、噂ではない。

その後、再びマクラーレンとホンダは手を組むことになった(喧嘩別れした当時の状況を知らなかったのか?)。当時のホンダの担当者は定年退職していたが、マクラーレンは、相変わらずロン・デニスが最高責任者。

人間の感情などと言うものは、そう簡単になくなるものではない。いくら話をする相手がそのメーカーにいなくなったとしても、喧嘩別れしたときの『このやろ~』感情は、ホンダ側にぶつけることになる。

あるとき、その喧嘩別れした担当者とお会いする機会があったので「マクラーレンのロン・デニスのところへ出かけて、あの時はごめんね、とか・・・話をしたほうがいいのでは」と言ったのだが、「俺はもう関係ないからイヤダ」と言う返事。

そして、マクラーレン側は、シャシーのデーターをホンダ側に正確に伝えず、レースで走るたびに不具合爆発。結果、マクラーレン経営側は、ロン・デニスを最高責任者から引き摺り下ろして、その後はマシンの改良が進んだ。と言う結論だ。

2021年12月29日水曜日

EVと使用するバッテリーの自宅充電は・・・

 

EVを走らせるときに絶対必要なことは、バッテリーの残量。そのバッテリーは自宅でも充電が出来るようだが、それには条件がある。その条件とは、200Vを使用するので、その配線を電気会社にやってもらう必要がある。100V充電が可能のクルマもあるが、時間が掛かりスマートではない。

では、一般家庭で200Vが来ているお宅はどこかと言うと、それは、ほとんどの農家。農家では、作業上どうしても動力線(3相200V)が必要で、これを利用すれば、充電システムを取り付けることは簡単。

海外ではどのような状態なのか、知っている範囲で説明すると、アメリカは117V(何で中途半端なボルトなのかは知らない)。イギリス(欧州全体かどうかは知らない)となると、家庭用電源が全て200Vだから、これは効率が高い。

さて日本は、200V仕様とするには、温水器用に深夜電力や『お得なナイト8や10』を利用していたらそこで使っている、3線単相(分電盤のブレーカーに配線されているコードを差し替えるだけでその部分から200Vを取り出せることで済むが・・・)の配線を利用するか、あるいはべつに200Vを引いてもらう必要がある。

ただし、電気引き込み配線工事料金は、電気メーター(スマートメーター)手前までの料金は、電力会社負担となるが、それ以降の配線工事は自己負担となる。

3相単線からEV用のバッテリー充電回路を取り出すにしても、専用の電気工事が必要になるばかりではなく、契約電気量の変更も必要になる。

つまりかなりややこしく、走り出すまでに手間とお金が掛かる。

この問題にも、補助金が出れば、EV利用への加速が付くと思うのだが、政府はどう考えるのだろうか。

また、数年前にイタリヤ旅行をしたとき、路上駐車場所にEV専用スペースがあり、なおかつ充電設備も備わっていた。もちろんEVに限って駐車料も充電料金も無料であった。

日本でもここまで政府や自治体が、積極的にEV優先政策を打ち出さないと、なかなか国民に浸透しないだろうと思う。

2021年11月25日木曜日

来年(2022年)の鈴鹿8耐スケジュールが決まったぞ

 

先ほど、モビリティランドからメールが入った。

鈴鹿夏の祭典ともいえる、あの8時間耐久レース開催が開催されるのだ。以下は発表内容。

2022 FIM世界耐久選手権 鈴鹿8時間耐久ロードレースは、
他のレースシリーズカレンダーを考慮し、
2022
84()7()に開催することが決定しましたので、
ご案内いたします。


■開催日程:
8
4() 選手受付/公式車両検査
8
5() フリー走行/公式予選/夜間フリー走行
8
6() フリー走行/トップ10トライアル
8
7() ウォームアップ走行/決勝レース(8時間)
スケジュールは変更になる場合がございます

2021年11月18日木曜日

またブレーキとアクセルの踏み違いによる交通事故が起きた どうする!!!

 

自動車のブレーキとアクセルで、2ペダル(つまりAT)の場合、一般的には右足ひとつでの操作が当然というが、それがそもそもの間違いで、健常者なら使っていない左足での操作を、ブレーキ専用として使えば、踏み間違いなんて起きようが無いので、これを普通にすればいいと思うのだが。

自動車教習所での教習でも、TAブレーキは左足、と言う運転教習をすれば、問題解決なのだが、教習所を管轄する警視庁は「ブレーキペダルは右足で踏まなければ行けない」、と言うことを強制しているので、まずこれを改めさせる必要がある。

『どちらの足でブレーキペダルを踏んでもいい』

事故後の運転者から事情を聞くと「ブレーキとアクセルを踏み間違いました」と言う言葉が発せられる。(素直にそれを認めない人物もいたが)

だったら、そうならない運転をすればいいのだが、そのためには特別な装置は要らない(自動ブレーキ付だからと言って100%確実ではない)。運転者がブレーキとアクセルを時々によって使い分けすればいいだけのこと。

地下駐車場(当然坂になる)から出て行くときに暴走の発生する要件を考えると、エンジンが冷えているときに起きているアイドルアップも関係しているのではないか、と言う話。

エンジンを始動させ、アイドル回転が高ければアクセルペダルを踏まなくても緩い坂なら登ってしまう。更に、アイドル回転フィードバック制御と言うプログラムも組み込まれて、エンジンに負荷がかかった場合には、指定されたアイドル回転に戻すよう(数100回転)作用するので、その負荷とのバランスが無くなる所までエンジン動力は高くなる。しかし、それはエンジンがある程度暖められれば、暖気後のアイドル回転に落ち着くのだが、そのときに坂を上りきっていなかったら、アクセルを踏む行為が必要となるわけだが、次に来る、坂を上りきったときに発生する、急加速(坂を上るようにアクセルを踏んでいるので、その坂による負荷がなくなれば急加速になる)が事故の引き金になるのではないかと考える。

地下駐車場から一般道に出るところの道路形状を考えてみると、雨水が入り込まないよう、歩道側との境はかなり盛り上がっている。この歩道を横切る必要があるので、当然一旦停止し安全を確認するが、一旦停止したときの道路状況はどうなのだろうか。

右足でアクセルをしこたま踏んで地下駐車場から出てきたわけだから、一旦停止状態とするためにブレーキペダルを踏みつけるが、再スタートでは、ブレーキペダルから足を離したとたん後戻りが発生する。

ここでビックリしてアクセルを思いっきり踏み込むと、それは急加速に結びつく。

急加速にビックリして、ブレーキペダルを踏んでくれれば問題ないが、それまで行ってきた行為が、勘違いを引き起こす可能性があるようだ。そして、アクセル全開で急発進し、歩行者や道路を走るクルマ、或いは向かいの建物に突っ込むことになる。

では、左足でのブレーキ操作を行う場合にどのようなことになるかと言うと、微速前進が出来るよう、坂を上っている最中にもアクセルペダルを踏みながら、ブレーキペダルの上に左足が乗っているため、必要によってその左足に力を加えればいいだけ。

地下駐車場から出たときの一旦停止でも、ブレーキペダルは踏まれた状態なので、いくらアクセルを踏んでも急加速くでの発進はない。左足でブレーキを使うと言う行為は、予想をしての行為となるので、パニックにはならない。これが重要。

例えば、道路(一般道ばかりではなく高速道路も)を走行中に、前方で何かおかしなものを見つけたり、おかしな行為を予想されるときには、左足をブレーキペダルに載せ、いつでもブレーキが使える状態とすれば、いきなりその必要が起きても、冷静に対処できる。

でも、左足での操作を考えないで(出来ない)そのまま走り、いきなりブレーキが必要となると、冷静にブレーキを使うことが出来ない。ビックリでパニックになってしまい、ハンドル操作にも影響が出る。これが暴走の要因にもなる、と思っている。

2021年11月11日木曜日

選挙の期日前投票を行う理由が、選管の決められた項目に当てはまらないと許可しない、というのはおかしい

 

期日前投票(以前は不在者投票だった)の、当日投票所に行けない理由の該当するところにチェックマークを付けるようになっているが、それに該当しない場合はどうするのだろうか。投票所の雰囲気が嫌いだから行きたくない、と言う項目は無い。


期日前の投票になる理由は、特になし、と言うことではダメ。実際に、数年前、期日前投票に行ったとき、期日前する理由は、チェックする項目に当てはまらなかったので、余白部分に「期日前投票をする特別は理由は無い」と書いて、受付に出したら「これではダメです、該当するところにチェックマークを付けてください」という。「適当に、嘘でもいいのか」と聞くと、「嘘でもいいとは言いませんが、それでもいいです」と着たもんだ。

嘘をついてまで期日前投票をする気は無いので、その場で用紙を破き、そのごみを関係者に渡して帰ってきた。

何故、お役所が決めた項目を、確実に守らなければいけないのだろうか。期日前に投票に行く理由は、どうでもいいのではないだろうか。投票することが一番重要であり、理由をハッキリさせることはどうでもいいのではないだろうか。『投票させてやっている』、と言う感覚の元に決めるとこのようなことになるのではないだろうか。お上の指示に従え、それで無ければ・・・

若者の投票率が悪い、と言う結果にも『当日投票所に行くのは、会場の分行くが悪く、後ろから監視されている感じがあって、なんだか面倒』と言う気持ちが強いように感じる。これは若者だけではない。

期日前投票と言う言葉が出来る前は、不在者投票というものがあって、それには市役所などに出かける必要があった。

仕事の関係で、初めての不在者投票に出かけたのだが、そこでの投票用紙の扱いがあまりにも考え方が違うので、すったもんだを30分ほどやって、投票用紙を破り捨て、帰宅した。

何が起きていたのかと言うと、記入した投票用紙を封筒に入れ、封をしたところにサインをしろ、と言うのだが、誰が投票したかわかるように、しっかりと名前を書くことが用供された。更に、その封筒を別の封筒に入れ、それも封をしたところに楷書で名前を書け、と言う指示。???

何だそれ、誰が誰に投票したのか分かるのではないか、と言う質問に対して『いちいち、封筒の封に書いてある名前を確認しませんから、大丈夫です』と言う返事。

あっそうですか、といって素直に楷書での名前を書くほど経験が無いわけではないので、「だれが開封するのですか。私の名前を知らない県外の方ですか」と聞くと「いや市内に住む選管から委託された方です」というので、それでは偶然と言う確率論では解析できない状態の話をして(私が経験したとんでもなく3つもの偶然が重なった)、担当の方を納得させようとしたが「決まりごとですから。それに投票を待っている方が並んでいますので」と言うので、『分かりました』と言ってから、投票用紙を破り捨て、その担当者にごみを渡した。投票箱の管理をしていた方が、微笑んでいたが、あれは何か・・・

それから数年後に、再び不在者投票へ出かけたときには、投票用紙を封筒に入れ、封をするが、そこにはサインをする(楷書の名前ではなく自分だけが読めるあくまでもサイン)方法に替っていた。これなら納得できるので、その指示に従い投票した。

2021年10月11日月曜日

経済学者の意見を聞いて、それを政治に反映させてはいけないらしい

 

大学時代には、一般教養として経済学があった。その授業は結構面白くて、教授の話は十分に参考となった。

何故、経済学者の話を聞いてそれに従った政策をしてはいけないのかというと、『経済学者は、自分の研究結果や考えを反映させ、理想(つまり理想論)を追求しようとする』ので、うまく行けば、「それは私が述べていたことを反映させたから」、と自分中心に物事を運ぶらしい。

そして、うまく行かなかったときには、『自分は気持ちを述べただけ』と言う勝手な結論を出すからだ、というのだ。そういう教授も経済学者なので、「私の授業は、君たちの知識にしないでくれ』というのである。

そのことを裏付けるものとして、学年末の試験では「カンニングという行動は成立しない」「大学から出ない限り図書館に行って調べようが、同級生に聞こうが、他の教授に聞こうが一切かまわない、という」。そのため、答案用紙を配ったら、監督の先生は、その教室から出て行った。

試験問題(正しく言うと試験ではない)は3つあって、どれを選んでもかまわない。そこで、簡単な用語説明を選んだ。3問の用語があり、それを説明するのだが、参考書になれば、と言う気持ちで持参した、「現代用語の基礎知識」なる、厚さが5cmある重たい参考書を試験会場に持ち込んだ成果はあって、数人の仲間とその参考書の内容を要約し、答案用紙を提出。当然100点である。

というような訳で、経済学者の話を信じてはいけないらしい。