研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2014年10月1日水曜日

不定期連載 数式を使わない、クルマの走行安定性の話・2/17

このレポートは、最初のタイトルを「数式を使わないサスペンションの話」ということでまとめていたが、結論からすると、サスペンションではなく、走行安定性になるので、タイトルを現在のものに変更した。(以後割愛)

内容は筆者が携わってきたバイクやクルマいじり、それ以外にも改良から製作、はたまた、各分野の技術者から得たヒントを織り交ぜ、経験などを加えて自分流にまとめたもの。数十年前に書いた部分もあるので、今では「化石」状態の部分も。面白い読み物、ぐらいの感じで目を通してほしい。(以後割愛)

 ミシュランXがノーパンクタイヤ!!?

ヨーロッパ車の事故車におけるボディ修整に求められる精度では、日本車のような高い修整精度を要求していない、と言うことは最初にも書いたが、その点については、日本の高性能ボディ修整機がヨーロッパでは必要とされないので、引き合いがない、とあるボディ修整機を売るメーカーが、フランクフルトで行われたアウトメカニカで話していたことを思い出した。

これはいったいなぜなのだろうか。アウトバーンのあるドイツでの話である。ボディ修整に精度がそれほど要求されないと言うことは、サスペンションパーツの取り付け点精度もそれに準じることになる。ということはそれよりも重要な部分で、クルマの走行安定性が保たれているということか?

日本車のように高いボディ修整を要求しない現実。つまり、タイヤをきちんと設計どおりに動かさなくては、走行安定性を得られない、と勘違いしているクルマメーカーのエンジニアが造った日本車に対して、如何にして、勝手に向きを変えようとするタイヤをコントロールするかが、挙動安定性に関係する、ということを重要視しているのがヨーロッパ車であると見ている。

クルマは路面からの不規則なタイヤの動きを、ボディに伝えないような設計とすることで、横風にも強くなる。というのは、タイヤはあるきっかけで(常に外乱を求めている)勝手に、自分の好きな方向へ行こうとするから、ある程度タイヤそのものを、遊ばせておく必要がある。この“いなし方”が難しいのである。

そのヒントとして前後左右のタイヤが、クルマの操縦安定性に対し、互いに頼らないような設計とすること、は重要なポイントではなかろうか。

また、なぜバイアスタイヤからラジアルタイヤに交換することで、それまでどうしようもなくハンドルを取られていたクルマが、安定して走るようになるのだろうか。その答えは、ラジアルタイヤは、路面からの外乱を受け付けない特性を持っているからだが、その素晴らしい特性に頼ったクルマ造りが考え物である。

日本のクルマメーカーは、ひとつのチャンスを無駄にしてしまった。というのは、1960年後半から始まったクルマの大衆化で、操縦安定性が問題になり始めた。それは、フロントサスペンションを独立懸架とするなどの他、クルマを小型軽量化したことによって発生する、ごく当然の結果であったのだが、それに対する回答は出せなかった。試行錯誤しているところへミシュランが1949年に開発していたラジアルタイヤに着目。

当時は、スチールベルトの入ったこのミシュランX(定かではないが1965年ごろから輸入され始めた)を、そのスチールベルトによって、刺さった釘が、タイヤをパンクさせない、ノーパンクタイヤである、というキャッチフレーズで販売されていたし、そのための見本として、輪切りにされたタイヤに刺さる釘は、見事?に突き抜けていなかった。

チューブレスであるが、当時はそれに対応出来るホイールもなく、チューブを入れて使用するなど、本来あるラジアルタイヤの性能は、完全に無視されていたわけである。それほど、タイヤに対する認識度がなかった。

しかし、日本のクルマメーカーは、このラジアルタイヤに目を付けた。ミシュランタイヤの技術者のレポートをまじめに読み、自分たちのクルマに、そのラジアルを取り付けたに違いない。そして、問題になっていた操縦安定性の悪さが、なくなっていたことにびっくりし、ひとつの結論を出した。それは「タイヤが悪い」、というものだった。

サスペンション・ジオメトリーとボディ剛性については考えていたが、それはあくまでもスタティックな状態での計算で、動的なものではなかったから、いざ動かしてみると、問題が出てくる。その問題となる種がどこに存在するのか、はたまた、その種はどのようなことに発展するのか、殆ど分かっていなかったように思われる。

カマボコ道路を走行すれば中央方向(右)にハンドルは取られ、それが不規則に連続する道路では、安心してハンドルを握っていられない状態が続く。これが何故起きるのか、分かっていれば、ある程度解決の策はあったのだが、そこに到着する前にミシュランのタイヤが登場した。

では、何故カマボコ道路ではハンドルが取られるのかと言うと、それはキャンバースラストが強く発生するからである。サスペンションが作動することによって、あるいは作動しなくても、その路面形状になれば、アライメント(静的も動的も)の変化でキャンバーが変化し、それに合わせてトーの変化が出る。これを無視してサスペンションやボディを設計すると(当時は見よう見まねで設計していたから、本質を理解していない)、バイアスタイヤではトレッドが路面形状に合わせて接するため、タイヤの周長が変わり、短い周長(直径が小さい)方向へタイヤは移動しようとするが、そこへ更にトーが加わると、これこそキャンバースラストとなり、強い力でクルマの向きを変える。それも、左右のタイヤで勝手に突如として発生するから、走行性は最悪になる。

キャンバースラストとは、バイクや自転車のコーナリングで発生し、これがないとコーナリングは出来ない。絶対に必要なものなのだが、バイクや自転車では必要でも、クルマではいらない力となる。これを発生させないようにサスペンションとそれを取り付けるメンバー、ボディなど総合的に造らないと、安定性の高いクルマはできない。

2014年9月20日土曜日

不定期連載 数式を使わない、クルマの走行安定性の話・1/17


このレポートは、最初のタイトルを「数式を使わないサスペンションの話」ということでまとめていたが、結論からすると、サスペンションではなく、走行安定性になるので、タイトルを現在のものに変更した。

内容は筆者が携わってきたバイクやクルマいじり、それ以外にも改良から製作、はたまた、各分野の技術者から得たヒントを織り交ぜ、経験などを加えて自分流にまとめたもの。数十年前に書いた部分もあるので、今では「化石」状態の部分も。面白い読み物、ぐらいの感じで目を通してほしい。

 
昼になったから食事に行こう

走行安定性を分析するのは、エンジンよりも難しい。いくらコンピューターが優れている時代になっても、解析をするための用件が多すぎるからだ。サスペンションだけではなく、取り付けられるメンバーやボディ形状、剛性まで関係してくる。難しい公式など、いくら紐解いても、さらに難しい領域に入り込むばかりで、少しも理解出来なくなる。

また、公式を列記しても、計算上では解析出来るが、実際とは大きく違う。そのあたりのことについて、クルマメーカーのエンジニア達は十分理解しているのだ。そこで、読めば何となくわかるような気がするレポートとして、「数式を使わない、クルマの走行安定性の話」をまとめてみた

話は数10年前にさかのぼるが、ヨーロッパにおけるヨーロッパ車のボディ修整では、特にサスペンションの取り付け部分に対して、日本車のように高い取り付け位置の精度を要求されていない、ということを聞いた。

これはつまり、タイヤをきちんと、設計値どおりのジオメトリーで動かさなくてもクルマの安定性が保てる、というひとつの現れだろう。対して、日本車は限りなく設計値どおりに動かすことを目標に、ボディ修整を要求されていた。しかし、ここにはボディ剛性とサスペンション設計、ゴム・ブッシュの使い方の違いによる、考え方が大きく関係しているように思えた。

考えるにヨーロッパ車は、如何に自由にタイヤの動きを使いながら、それをコントロールすることが重要である、に開発・設計のポイントが置かれているような気がしてならない。

ヨーロッパにおける、優れたクルマ造り(この場合デザインは含まない)をするメーカーは、サスペンションをどのように作ればいいか、ということがわかっているとも取れる。

取り付け点の位置、サスペンション剛性とボディ剛性の関係、しなやかに外乱を処理するために採用するゴム・ブッシュの使い方など、当然のことをデータとして持っている。そのために、新型車を作るときでも、サスペンション設計に必要以上の時間はかからない。もちろん、実験においても同様であり、開発実験ではなく、確認実験であるかのようだ。

それに引きかえ1980年代の日本車は、どのようにサスペンションを作ったらいいのかわかっていなかった。クルマ毎にサスペンション型式を変え、絶対寸法まで変えてしまうわけだから、新型車を開発する度に、全てのデータがゼロからスタートすることになり、同じ過ちを繰り返すこともある。ところが同じディメンジョンとジオメトリーのサスペンションを使い続けることで、問題点を克服できることもある。もちろん何が問題なのかが分かってなければダメだが。

ヨーロッパ車も日本車も目標とする走行性は変わらない、と考えていいが、設計の段階からどう作ればこのクルマはこうなる、ということがほぼわかっていると思われるのに対して、日本車は作ってみるまでわからない。つまり何をどうしたらどうなるのかが、皆目分かっていなかった時代だった。

面白い例えとしてこう考えた、ヨーロッパ車の場合は、「昼になったから、食事に行こう」。それに対して日本車は「昼か、はらがへった、どうしたらいいのか」と、研究員達がディスカッションして、「これは、どうやら食事に行かなければいかんのだ」というような結論をだす。ただし、ここに出す結論が食事になるか、食料品の買い出しか決まっていない。

外乱をうまく処理し、安定してドライバーとの対話が出来るサスペンションとするには、確かな剛性を持つボディと、同様に優れた剛性を持つサスペンションに関わる全てのパーツ、ゴム(ピロー)・ブッシュの使い方、そして、サスペンションのデザイン、つまりジオメトリーをどうするかである。更に重要なのは、その動的作動の軌跡が、設計値に限りなく近くなるかどうかだ。

以下、不定期で次号

2014年9月13日土曜日

新しいエネルギーが加わりバージョンアップされたスズキ・ワゴンR


ワゴンRがハイブリッド仕様になって登場した、といっても過言ではないシステムを搭載してきた。それは、オルタネーターをモーターにも使う、マイルドハイブリッド方式の採用。ニッサンセレナでは一部の仕様ですでに確立させているが、軽自動車となると、どこのメーカーも「只今考え中・・・」で止まっていた。さすが先を行くスズキ(ゴマ摺りではない)、それをやってのけた。


スティングレーに試乗。明らかに、軽自動車の高級モデル、と言える部類だが、価格が気になるところ

それまでも、エネチャージという名称で、減速時を重点にオルタネーターの発電を、搭載するリチウムイオンバッテリーや鉛バッテリーへ蓄える方式により、加速時のオルタネーター負荷を低減。それによってエンジンの駆動効率を高めて、燃費と動力性能を引き上げていた。

このシステムを更にバージョンアップしたのが、今回のS-エネチャージである。オルタネーターをスターターモーターにも使うことにより、アイドリングストップからの再始動では、セルモーターのピニオンギヤとリンクギヤ、更にギヤからの唸り音など、不快な音がなくなることで、非常にドレッシーなアイドリングストップを実現することとなった。

そして、そのモーター(12V1.6kW)を加速時のアシストに使用し、動力性能をアップするのではなく、燃費アップの方向へ使ったのである。そのことが非常に評価できる。

つまりアシスト力(リチウムイオンバッテリーの電力を使用)をプラスして、中速域の加速性能を大きく高めるには、このモーター特性では能力不足(基本的に小さすぎる。それ以上を求めるにはエンジンルーム内のスペースとコストが問題)。


S-エネチャージシステムは、これから他の機種へも採用する

最大トルクが大きくエンジン始動にも使える能力を持っていても、それがそのまま高回転まで持続しないのがモーターであり、アイドルストップからの始動用として、その性能を発揮させるとしたら、今の状態では両方がうまくいかない。

アシストモーターとしての実力は3000回転で4Nm(50ccバイク並み。プーリー比で見ると1/2ほど減速するので、中速域のアシスト用としては実用性が乏しい)という話であるし、モーターばかりではなく、バッテリーに対しても同様なことは言える。


ベルトは専用としたため2本使用。ISGベルトは強い駆動が加わることから、テンショナーはこれまでとは逆の位置に取り付けている

使用する部品の共通化は当然であり、その中で最大に効率を追求する。その結果、鉛バッテリー(最初の始動ではセルモーターを回し、アイドルストップからの再始動ではISGに電力を与える)とリチウムイオンバッテリーは、これまでのエネチャージシステムと同じもの、ただし、制御系が大きく違い、最大電流値も違うことから、それに耐えるものを新しく開発した。

このオルタネーター・モーターには、インバーターが組み込まれているので、部品として購入すると自作EV用に使える??と考えたのは間違いではないと思うが。

オルタネーターをアイドリングストップからの再始動用モーターとして使うと、その穏やかな始動状態に感動する。雑音がないからである。

更に良いところは、クランキングスピードがセルモーターで回したときの300回転から600回転となることで、走り出すまでのタイムロスを考えた場合、初速が速いことから、エンジン再始動と同時にアイドル回転を大きく立ち上げる必要もない。結果的に穏やかな感じが強くなる。

また、S-エネチャージでも走行中からアクセルを離して停止まで持ってくると、時速13キロほどでエンジン回転計は仕事をやめて、いきなりゼロを指すが、エネチャージを採用したばかりのときのワゴンRと違って、突き出し感(減速の強さが途中から少ないほうへ変化することで起きる)は発生しない。

これは、CVTと副変速機の制御を改良した結果で、同社のハスラー試乗のときに感じたため、開発者にそれとなく聞いてみると「実は、ワゴンRのマイナーチェンジから変更しています」とのこと。

何が変わったのかは、五感を研ぎ澄まして運転するとわかる。

エンジン回転計がゼロを指すか指さないうちに、エンジンからの唸り音と振動を感じる。つまりエンジン回転が上がり始め、エンジンブレーキを効果的に作用させながら、突き出しを発生しない状態を作り出しいるのである。

副変速機とCVTとのやり取りで、一番難しいのは副変速機のギヤをハイからローへダウンシフトして、スムーズにエンジンブレーキ状態を停止寸前まで持っていくことである。

突き出し感があったときには、CVTを最大にローレシオとし、そこまでは効果的に減速させるのだが、副変速機はハイギヤのまま。そのまま停止までやろうとすると、エンジンの回転はとんでもなく低くなってしまい、例えばその状態で再始動が要求されても、トルクコンバーターのロックアップを外し、そしてクランクをまわしての再始動は、どう見ても時間差が多くなって思わしくない。

それでは減速の途中でハイギヤからローギヤへダウンシフトしたらどうなるか。その切り替えを瞬時に行う必要があり、結果として、大きなショックが常に発生してしまう。もちろんトルクコンバーターのロックアップはされた状態でないと突き出し感が出てしまうので、そう簡単な話ではない。

これまでは副変速機をハイギヤのまま、トルクコンバーターのロックアップクラッチを切り離さなければならず、その結果、突き出し感が発生してしまっていたのだ。

それを排除するためには、乗員が違和感を感じないうちに副変速機のギヤをハイからローにシフトすればいいのだが、それがなかなか難しい。でも、スズキはそれをやってのけた。

副変速機をハイからローへシフトしたときにショックを感じないようにすれば良いわけだから、トルクコンバーターのロックアップクラッチを滑らせながら、副変速機のシフトを行うように改良。

ロックアップクラッチが滑っている最中(つまり半クラッチ状態)であれば、副変速機のギヤをハイからローへダウンシフトしてもショックは感じないのだ。ローギヤへのシフトが終了したら、エンジン回転がスムーズに上がるよう、素早くスムーズにロックアップを開始する。ただこれだけのことだが、それの見極めが非常に難しい。

これにより、エンジン回転計が動きを止めても、クランクシャフトは回り続けており、その最中にダウンシフトするので、ショックを感じさせないのだ。エンジン回転計が常に動くような造り方をすれば、ハッキリとわかるのだがな~。


アイドリングストップしている最中の不用意な再始動を防ぐため、ブレーキペダルのにストロークセンサーを取り付けた。これにより、より快適なアイドルストップは、更に安定した

アイドリングストップでも進化が見られた。それは、不用意な再始動を誘発しない制御を加えたこと。何が加わったのかというと、ブレーキペダルにストロークセンサーを取り付け、ペダル位置が決まった高さに戻らないと再始動しないというもの。これで、アイドリングストップした直後に、いきなり再始動したり、再始動したと思ったらストップしたり、などという、チグハグな行動はなくなった。

2014年9月6日土曜日

BMWのX4カタログに出ていた、奇妙なクランクシャフト


BMWが新発売したX4のカタログをしげしげと見ていて、4気筒エンジンなのに見たこともない形のクランクシャフト写真に、目が釘付けとなった。

 
カタログ写真なので、正確に判断するのは難しいが、それでもこれまでの直列4気筒クランクとは明らかに違う

これまでの4気筒クランクシャフトであれば、クランクピンの位置は1番と4番、2番と3番が一緒で180度ずれた位置にある。

しかし、どう見てもそのような造りではない。1番と2番、3番と4番が同じ位置にある。更によく観察すると、その1番と2番(3番、4番も)なんとなく位置(角度)が違うような感じも見える。

これもしかして270度クランク?


270度クランクを採用しているクルマは聞いたことがない。バイクではヤマハが10年以上前からこの270度クランクを市販の2気筒や排気量の大きな4気筒(YZF-R1)に採用し、ロードレースの最高峰であるモトGPマシンにもこの270度クランクを採用。ホンダも2気筒バイクのNC700,750には、この270度クランクを採用した。

2011年東京モーターショーに展示された、ヤマハ・モトGPマシンのクランクシャフト。4気筒なのにクロスプレーン型クランク。つまり、クランクピンの位置は90度づつずれた270度クランクとなる
 
では、なぜ不等間隔燃焼となる270度クランクを採用するのだろうか。ヤマハのサイトにはその理由が書かれているので、すでにご存知の方もいるだろう。

性能アップが目的ではなく、高回転まで回したときの素直さ、スムーズさを狙ったとか。それにより、ライダーは高回転を楽しめるので、余裕が出るからだという。

レースのマシンではそれが当然だが、ストリートバイクではどのような利点があるのだろうか。それは、燃焼による鼓動が低速から中速に掛けて味わえるからで、バイクを乗る人間の気持ちに訴える十分な要素を持つ。

確かに、2気筒であると時速100キロからの追い越し加速でも、しっかりと鼓動を感じさせる挙動が見えるのだ。

では、何故そのようなことになるかというと、それは、クランクシャフトの回転位置がどこにあっても、必ず動いているピストンが存在することに要因があるという。3気筒や6気筒では当然のことだが。

普通に180度クランク構造では、上死点、下死点は全てのピストンが同時になるため、必ず停止する状態が出てくる。しかし、270度クランクとすれば、常にどのピストンかは動いており、それが気持ちよさにつながるのである。

こう考えると、2リッター4気筒ターボのX4(それ以前から?)は、とにかくエンジンがスムーズで、とても4気筒とは思えない静けさがあるのはうなずけるのだが。

燃焼間隔が乱れるため、自然吸気エンジンであると重要な、排気脈動を使う性能アップは無理だが、ターボが装備されているので、それも関係ない。

6気筒仕様もあるため、4気筒2リッターであると、エンジンルームの換気性能は高い。更に鼻が軽いため、普通に走らせる中でも、楽しさが味わえる

アイドリング中にマフラー出口で排気音を聞いてみたが、ターボにかき回されるので、特別な音ではなかった。

この点について、日本のBMW広報へ聞いてみたが???という感じ。何故何故問答は、BMWのエンジン開発担当でもなければ無理かもしれないな。でも知りたい。日本の自動車メーカーのエンジン開発担当は、このようなことを知り尽くしているのだろうか。
新型X4。SUVとハッチバックセダンを融合させたような感じ。走行性は非常に自然で、かつ気持ちがいい。この感じでセダンを作って欲しいと思ったのは、私だけではないだろう
 

2014年8月30日土曜日

1972年、アメリカ・デイトナ200マイルレースのプログラムが出てきた


倉庫の片づけをしていたら、こんなものが出てきた。たぶんかなり貴重だと思う。それは、1972年のアメリカAMAシリーズ第1戦となる、デイトナ200のプログラムだ。

実は1972年に会社(八重洲出版モーターサイクリスト編集部)を2ヶ月休職して(当時の社長が「海外を見て来い、休職してもかまわないぞ」と言っていたので)、当時アメリカへ遊学していた実兄を訪ね、アメリカ大陸往復横断(LAから出発してLAに戻る)をクルマで行った。

当時はガソリンもエンジンオイルも非常に安価で、排気量の大きなフルサイズカーでも、燃費を気にする状況にはならなかった。クルマは中古のフォードギャラクシー289(約4800ccで、当時では小さい部類)MTを使用。でかいので、身長180cmの我々でさえ、その中での就寝も可能だった。

余計な話はこれくらいにして。アメリカ大陸を計画なしに横断してもつまらないから、2月のデイトナ500(4輪のストックカーレース)、3月のデイトナ200(バイクのレース)をそれぞれ正式にプレスパスを取得し見に行くことは決めていた。その途中では、かなり面白いことが起きてしまっていたのだが、その話は長くなるので割愛。

アメリカ東海岸ではデイトナ200の前に、ホンダの研究所に勤務し、CB750開発・テストライダーとして活躍した後、アメリカのペンシルベニアへ渡った菱木哲哉氏に会いに行った。菱木さんはアメリカ東海岸のクラウスモーターサイクルにヘッドハンティング(当時はこんな言葉あったかな)され、渡米していたので、そのクラウスを尋ねると、菱木さんはクラウスに不在。

社長は「そんなやつ知らん」と、取り付く島もない。でも社長の奥様が「彼・マイク(当時マイク・ヘイルウッドにあこがれていたので、マイク菱木と改名)はニュージャージーのウイッギーホンダにいる」とのこと。

どうやら、日本での話と、現地アメリカでの話が違いすぎたようで、チャンスを見て家出???したらしいのだ(クラウスの奥様には話をしていたが)。

その菱木さんもウイッギーホンダでメカニックをやりながら、生活しており、そこを尋ねたら、「自分達もデイトナへ行きジュニアクラス100マイルに参加する」とのこと。ただし、菱木さんはメカニックとして同行するという。ウイッギーホンダを選んだいきさつは、長くなるのでこれも割愛。

このデイトナ200マイルでは、エキスパートクラスが200マイルで、ジュニアクラスは100マイル。他にノービスクラスがありこれは76マイル。

そして、このノービスクラスには日本人が出場していた(翌73年には、故隅谷守男氏が200マイルに出場し6位)。ヤマハ市販レーサー250TDⅡでエントリーする尾崎トシヒコさんという方で、マシンコンディションが悪く完走でレースを終わったが、後日、勤務していたバイクショップからの帰りにフリーウエイで交通事故に会い、帰らぬ人となってしまった。

ノービス76マイルレースに出場したのは、ゼッケン28の尾崎さん。マシンのセットアップがうまくいかず、完走でレースを終わった。後日、交通事故でお亡くなりになると言う、悲劇が・・・
 
そのデイトナ200には、ヨシムラがアメリカ進出を計画し、拠点作りのために初めて正式参加するが、表には出ずクラウスモーターサイクルのバックアップという形だった。

ライダーはロジャー・レイマンとゲーリー・フィッシャー。G・フィッシャーが乗ったマシンはホンダコレクションホールにある。成績は、どうだったか忘れた。
G・フィッシャーが乗ったマシン。ホンダコレクションホール所有。写真は今年のモーターサイクルショーで、ヨシムラのブースに展示されていたもの


このときに200マイルで優勝したのはドン・エムデ(空冷のヤマハ市販レーサー350TRⅢ)。メカニックは60歳は過ぎているだろうと思われる方が一人だけ。レース途中の給油ではヘルパーが付くけれど。

このメカニック氏がやっていた作業は、考えられないこと。それは、燃焼室を削って形状を変える加工。旋盤なんていうものはないから、リューターと回転ヤスリで少しずつ。圧縮比だけを下げるなら、ヘッドガスケットを2枚なんていう方法もあるが、それではダメなのだろう。2気筒だから左右の燃焼室を均等に手で削るのは、神業だが、でもそれをやってのけた。

プラクティスで少し走ってはまたヘッドを外して削る。これを4~5回ほど繰り返していたと思う。

スプリントレースではないので、とにかく乗り易くて燃費がよく、最後まで走ることが重要だから、この方法で改良したのだろう。で、とにかく優勝したのである。すごい

ゼッケン5がR・レイマン。10がG・フィッシャー。優勝したのはゼッケン25のドン・エムデ。メカニックのすごさにはただ脱帽。これほどのことを現場で、しかも自信を持ってやれる方が他にいるだろうか
マイク菱木さんが面倒を見たウイッギーホンダのマシンは、ヨシムラのキットを組み込んだCB750。ライダーはジェームス・クリスチアノ。予選はそこそこだったが、決勝グリッドに並んで最終チェックのとき、ヘルパーをやる同店のマネージャーが、オイルクーラーのパイプをねじ切ってしまい、あっけなく終わり。

ゼッケン19番がウイッギーホンダのジェームス。普段はウイッギーホンダでメカニックをやっている。チョイト頼りないが
そんなこんながあったデイトナ200マイルのプログラムである。

2014年8月11日月曜日

ホンダNC750X・DCTの試乗記で忘れていたこと


その忘れていたことは、アイドルアップとクリープ走行のような現象についてである。

クルマでもそうだが、ツインクラッチの制御は難しい。発売された当初のツインクラッチ(日本ではアウディが最初)では、チグハグな制御が目立っていたのだが、現在ではそれもない。指摘されたことを謙虚に受け止めて、改良を重ねてきたからである
 
700のDCTではこのような状況での走りを体験しなかったので、把握しなかったが、やはり距離が多い状態であると、普段、まず発生しない問題の走りが出てくる。イレギュラーは事故に結びつくので、改良の余地があると思う。

その問題の走りは、エンジンが中途半端に冷えているときに起きた。冷却水の温度は、エンジン始動後のアイドルアップのマップを要求する状況にあったのだろう。走り出して減速しようとアクセルを戻したが、思うように速度は低下しない。もちろん低速状態での話し。

いくらギヤミッションのATであっても、思うように速度調整が出来ないのは、一瞬あせりに。そのときには、「アッアッアッ、速度が落ちない」。いったい何が起きたのか見当も付かない状態だった。

そりゃそうだ、アクセルは完全に戻しているわけだから、ブレーキを使わなくても速度が低下し、最終的には停止にならなければいけない。なのに10~20キロほどの速度を維持したがる。徐行状態からのUターンだったので、慌ててフロントブレーキに手がかかったが、路面がドライであったため事故にはならなかった。

何故このようなことが起きたのか、しばらく考えながら走行したが、そこでの判断は、冷却水温度の低下とエンジンオイル温度の低下がリンクしていないためである、との結論だ。

どういうことかというと、走行後であれば、ラジエターを持つ冷却水の方が冷えるのは早い。再始動のときには、その冷却水温度によって、冷間時始動と同様にアイドルコントロールバルブが開き、燃料が増量され、アクセルを完全に戻していても、その状態に関係なくアイドル回転は上がる。

これが、エンジンオイルも冷えている状態であれば、オイルのフリクションによって勝手な行動が表に出ることはないのだろうが、前記のような症状が出たときには、エンジンオイルはまだ温まっている状態。つまりフリクションは小さい。

エンジン回転が上がっているという条件だけを取れば、バイク側の判断は「ライダーはアクセルを開き、走行を要求している」ことになるため、クラッチは接続を切り離す行為をしなかった。

これを防ぐには、アイドルアップが作動中で1速、2速ギヤで走行中(トップギヤからのダウンシフトでも)、アクセルを全閉した場合は、クラッチを切るという指令が必要で、そのようなことになれば問題も起きない。

また、マニュアルクラッチ仕様と違って、エンジンオイル温度センサーが取り付けられているので、そこからの情報を確実に利用すれば、冷却水温度が低下して、アイドルアップしたい条件であっても、エンジンオイル温度がそれを認めないような制御を組み入れれば、このような「暴走」とも取れることにはならないはずだが。

2014年8月8日金曜日

三年前と何が変わったのだ。津波被害の地を再度訪ねる


3年と3ヶ月前の2011年5月連休明け、大震災と津波の被害に遭った地域で、自治体と関係なく個別に活動する組織、“地球元気村”(主宰、風間深志・冒険ライダー)が立ち上げたベースキャンプを拠点に、延べ10日間ほどのボランティア活動に参加させてもらった。もちろん自給自足、テント生活である。

そのとき、「これから、ここに住む方たちはどのようなことになるのだろうか、気持ちが張り詰めていないと、前に進めないのではないか。その張り詰めている気持ち、心は、いったいいつまで持つのだろうか」、など考えるときが多かった

被災に遭っていない私は、本当に無責任な感情を抱いてしまった。それは、元の街並み、そこに住まわれる方がた、走る自転車や自動車など、ここに住む人たちの、普通の生活というものを知らないからだと思った。
このお宅は海岸から僅か50メートルほど。当然津波の被害に遭われたが、丈夫な家の作り方で、傾きもせずしっかりと建っていたため、ご主人は修理して住みたかったのだが、奥様がここにはもう住めない、ということで引越しの手伝いをした
 
引越しの手伝いをやったお宅を訪ねてみたが、すでに家はなく、倉庫が修理されて使われていた


御用聞きボランティアであるから、そのお宅にお邪魔して、一番やって欲しいことから手を付けるのだが、御歳より夫婦だけが住まいとしている(津波での被害は家屋だけだったとこは、幸いかもしれない)お宅では、お二人ともほとんど口を利かない。そのことに対するケアは残念だが我々では無理だった。

一日の活動が終わり、そのお宅を後にするときでさえ、ご夫婦は、特別な感情を見せなかった。気持ちがどこかへ飛んでいってしまったかのようだった。或いは、一緒に住んではいないが、子供や孫が、津波の被害で亡くなってしまい、ただ呆然として、今を生きていることで精一杯だったのかもしれないが、そのことに対して、根掘り葉掘り聞くものではないので、知る由もなしである。

子供たちが集まる場所にも出かけてみた。そのときには、楽しそうに振舞う子供の様子を見て、「大人にとっては、清涼剤になるな」と思っていたが、自宅に帰り、数週間たって「ハッ」と気が付いた。

あの、子供たちの振る舞いは、「周りの大人に気を遣っていたのだ」、ということ。この瞬間、思わず涙が自然にあふれた。この原稿を打っているときでさえ、うっすらと涙が出てしまう。

彼らは、精一杯の気持ちと、そして行動で、先の見えない災害に打ちひしがれた大人に、その現実を忘れて欲しくて、気を遣いながら振舞っていたのだ。これに気が付いたのである。けなげな子供たちの振る舞い・・・

ただし、被災地を再び訪れたとき、とんでもない話を、ある方から伺うことになった。それは、当時幼かった子供たちが、被災状況を見て、大人たちに気を遣ったまではよかったのだが、その後、3年以上経過しても、常に大人の顔色を伺いながら行動や、言葉を選んで話をし、子供本来の行動をしなくなってしまった、という内容。

子供は、本来、大人(親)の顔色を伺いながら行動することはなく、自分勝手なわがままとも言える発言などで、周りの大人たちを困らせ、それを正してもらい、また、関係する大人たちも、それによって成長するのだが、それがない。

常に「いい子」状態で、これからあの子達はどうなるのだろうか、という心配をされていた。もちろん国や自治体が、被災地の子供たちの心のケアをやったという話は聞いていない。

心が育っていない大人になったとき、果たして周りを牽引していくことが出来るのだろうか。気になる状況である。
津波で流された志津川の駅。僅かに駅舎が残るだけ
 
その志津川の駅前を訪れた。駅舎はもちろん線路も何も変わっていない。変わったのは雑草がはびこる状態だけ。3年以上が経つのに人が住むという、ごく当たり前の生活が見えない。低くて役には立たないと思われる堤防工事だけは各所で手をつけているが、今回の津波はその堤防の3倍ぐらいの高さだった。低い堤防は何の意味があるのだろうか